ウクライナ避難民支援委員会 1年を振り返って

■本田昇(ほんだのぼる)プロフィール

新潟工科大学 工学部建築学科卒業。
その後、株式会社本田建築入社。
趣味はゴルフ。
座右の銘は『厳しさ無くして成果無し』

■小千谷青年会議所に入会したきっかけ

早速ですが、小千谷青年会議所(以下JCI小千谷)に入会したきっかけを教えていただけますか?

20代からJCI小千谷に誘われていましたが、いつも何か理由を付けて断っていました。『JCI小千谷という組織は、大きな会社の人や優秀な人が入会するもの』だと勝手にハードルを高く設定してしまっていたんです。

ですが32~33歳頃のときに仕事で福島に滞在する機会があったんです。そこで東日本大震災から復興しようと頑張る地元の人達の姿を見たり、誰も人が住んでいない町を見たりしました。そんな世界を見たときに「自分も何かやらないといけない」という気持ちが湧き上がってきたんです。

非日常の経験が考え方を変えたんですね。

30歳を過ぎて、ある程度は仕事ができるようになり、結婚もして家庭も築けました。それが自信になったのか、自分が町のために何か出来るとしたら今しかないと思ったんです。これが入会に至った経緯ですね。

■心意気を持つ仲間が集った特別委員会

本田さんが委員長を務めたウクライナ避難民支援委員会ですが、どのような経緯で立ち上がったんでしょうか?

本来、JCI小千谷では前の年に次の年の委員会が決まるのですが、今回のように急遽結成されることもあるんです。それは今年の2月にロシアのウクライナ侵攻によって小千谷市にサリフさん、イリナさん御夫妻が避難してこられたからです。そんな彼らを支援する目的で私たちの委員会は立ち上がりました。

急に委員長をやることになった時の率直な気持ちをお聞かせください。

大きな仕事を任されたということで誇らしくもあり嬉しくもありましたが、その反面不安な気持ちも大きかったですね。まず「メンバー全員が、それぞれ別の委員会に所属していて忙しい中で、誰が自分の委員会に入ってくれるだろうか」と正直自信が無かったです。

仕事は「やれ」と言われたら絶対にやります。商売ですからね。でも、JCI小千谷の活動は違います。断ろうと思えば断れてしまうんです。商売と違って、目に見えて分かる見返りがありませんからね。

でも、誰かがやらないといけなかったんですよね?

そうですね。なので委員会に迎え入れたいと思ったメンバーには、一人ひとりに電話をして、しっかりと話をしました。それが良かったのかもしれませんが、全員が二つ返事でOKしてくれたんです。

それが本当に嬉しかったですね。委員会メンバーの心意気に応えたいという想いが、私のやる気を膨れ上がらせてくれました。事業が終わった今では本当に能力が高くて優秀なメンバーばかり集まってくれたと思います。もしかしたら、そんなメンバーを選んだ自分の目利きの能力が高かったのかもしれませんが(笑)

■大切なのは心に寄り添うこと

本田委員長をそこまで言わせるウクライナ避難民支援委員会の事業について詳しく教えていただけますか?

まず単純に支援をするとなったときに、すぐに浮かんだのは募金や物資の支援です。ですが、小千谷には『おぢや避難民支援の会』が既にあり、募金活動をはじめとする経済的支援はおこなわれていました。更に私たちの委員会が立ち上がった7月の段階では、ウクライナ祖国への物資の支援も十分であるということが分かったんです。

経済的支援以外となると何があるんでしょうか?

彼らは旅行で小千谷に来たわけではありません。ある日突然、住む土地を追われ、仕事や友人をはじめ生き残るために多くのものを祖国に置いて、やむを得ずやって来ただけなのです。しかも、日本はウクライナ近隣の国と違い、言葉が通じづらいという状況があります。

もし自分が同じ立場だったらと考えても、とても私には想像できないものでした。そこで私たちは、避難民のお二人が十分な生活が出来ていたとしても精神面でのサポートが必要なのではないかと考えたんです。

詳しく教えていただけますか?

私たちは『あいさつは笑顔になれるおまじない』というスローガンを掲げ、ウクライナ語の簡単なあいさつが書かれたポスターを小千谷市内の様々な場所にはることにしました。

例えば日本人が海外に行ったとき、ふと日本語が書かれている看板など見ると安心しますよね。なので町中にウクライナ語が書かれていたら、彼らは少なからず心が安まるのではないかと考えたんです。

初めて会った人が同郷だったりすると急に仲良くなるのと似たような感じですね。

そして、ポスターには二次元バーコードが載っていて、そこからNHKの子ども向け英語講座のような実際に発音を学べるYoutubeの動画に飛べるようになっているんです。実は、こちらはサリフさん、イリナさんにも出演していただいて本場のウクライナ語の発音が学べるんですよ。私も出演しているので、ぜひ観ていただけたら嬉しいです。少し恥ずかしいですが(笑)

■家族やメンバーに支えられて

苦労もたくさんあったとお聞きしました。

そうですね、本当に0から1を作ることの難しさを実感しました。0から0.5までは届くけれど、1には届かない。最終的にはポスターを掲示することになりましたが、それまでにもたくさんのアイディアが出ては消え、出ては消えを繰り返しました。

たとえば外部の方々を巻き込んだ大きな事業をやりたいと思っていても、協力が得られない場合、事業は出来なくなってしまいます。まぁ、これは仕方のないことですが。

それぞれの事情がありますからね。

そして、自分自身の軸がブレてしまう難しさも実感しました。委員会のメンバーに相談すると本当にたくさんの素晴らしい意見をくれるんです。自分が気付かなかった視点やアイディアを聞くと、素直に「それ、いいな」って思ってしまって、そっちのほうに流れたこともあります。でも、一歩引いて考えてみると、実際には難しいこともたくさんありました。

それをまとめるのが委員長の仕事というわけですね。

そうですね、JCI小千谷に入会して1年ちょっとしか経っていない身で委員長になったことも大変でした。正直に言うと孤独を感じたことも多々あります。委員会のメンバーに何かを投げかけても反応が返ってこないことがある。でも、それは自分の中では分かっていたんです。みなさん、忙しいですからね。

なので、私の委員会のスタンスは「この事業は、まず委員長が走り抜ける」と思っていました。反応が無くても気にしないで、自分からメンバーに積極的に問いかけるようにしていました。それに委員長になって見えたこともあるんです。

詳しく教えてください。

委員長は必ずしも優秀である必要はない。自分が出来ないことをメンバーを巻き込んで協力して事業を作り込んでいけばいいんです。支えてくれる人がいるからこそ、委員長など立場が作られ、組織が作られていきます。周りから見て優秀だと思われている委員長や理事長も、実は周りでサポートしてくれている人がいてこそなんです。

素敵な考えですね。

それに家族にも迷惑をかけましたね。切羽詰まってくると2週間くらい夜中の2時まで考えて6時に起きるという生活が続いたこともあります。何も無ければ仕事が終わったら子供の面倒を見て、寝かしつけて22時くらいからようやく自分の時間が持てるんですが、それが出来ませんでした。よく嫁さんにあきれ顔で言われましたね。「朝から朝からLINEの通知がよく来るね」って。でも、その生活スタイルも最終的には家族から受け入れてもらえました。

どんな魔法を使ったんですか?

魔法なんて無いですよ。ただ、しっかりと自分が委員長であることを伝えたんです。今年でJCI小千谷を卒業するから「最後は委員長をやって卒業する!」という強い意志を示しました。「出来ないやつに委員長をやってくれ」なんて言われないとも伝えました。もちろん最初は揉めましたけどね(笑)

ご家族の理解があってこそですね。

でも、嫁さんにはJCI小千谷に入る前から、まちのためになることをやりたいとは常に言っていました。小千谷市のまちに恩返しできることって、昔からJCI小千谷のような団体じゃないと出来ないと思っていたんですよね。

どうして、そう思うんですか?

子どもを連れて市内の色々なところに遊びに行くと、どこに行ってもJCI小千谷の人がいるんですよ。自分を含めた子どもを持つ同世代の中で、誰もやらないことをJCI小千谷だけはやってくれている。その姿を見て「いいな」って思っていたし、いずれは自分も40歳になる前に入りたいとは思っていました。

■学びがあるのがJCI小千谷

改めて特別委員長を務めた期間を振り返ってみて、いかがですか?

それはとても辛くて苦しい道のりでした。ですが、それを乗り越えた今となっては最高です。11月にJCI小千谷の卒業例会があったんですが、達成感でいっぱいでしたね。最後の年に特別委員長を任されたからこそ、一緒に卒業する他の会員歴の長い同年代の仲間の一員に本当の意味でなれたような気がします。

私が入会して間もない頃は、JCI小千谷での活動は本当に苦しいことが多かったんですが、今ではJCI小千谷の良さが分かりました。その段階になって卒業してしまうのが本当に寂しいですね。これがあと2年、3年と残っていたら、また違う景色が見られたのかもしれません。そんなふうに感じたからこそ、卒業式での後輩からの手紙には涙が出てしまいました。

ポスター事業についてはいかがですか?

JCI小千谷だからこそできる支援だったと思います。

どういうことでしょうか?

言葉が正しいか分かりませんが、物やお金を支援することって誰でも思いつきますよね。ですが、避難民のお二人との交流を通して、ウクライナ語のあいさつを覚えるなど、支援を通して自分たちも市民も学ぶ機会を作れたのはJCI小千谷らしい事業だったと思っています。

一方的に与えるだけではないということですね。

そうやってウクライナ語のあいさつを覚えてくれる人が一人でも多く出てきてくれたら、実のある支援になるんじゃないかって思っています。サリフさん、イリナさんのお二人とも一緒に顔を合わせて撮影をして、声を聞いたり、触れあうことで感じることもたくさんありましたからね。

実際に動画撮影をしたあとにお二人からメッセージが届いたんですよ。「とても素晴らしく特別な時間を過ごすことができました」って。

それは嬉しいですね。

実際にどれくらいの人があいさつをしてくれるか分かりませんが、少なくともお二人には喜んでもらえたと思っています。

■修練・奉仕・友情の循環が一生モノの仲間をつくる

今後の目標などあれば教えていただけますか?

残りのJCI小千谷での生活を頑張ることはもちろんですが、今までの経験を自身の仕事に活かしたいですね。今までJCI小千谷での活動に使ってきた時間を、仕事に回して今まで以上にバンバン仕事をするつもりです!まちのためにも色々なことをやっていきたいですね。

何かイメージはあるんでしょうか?

まだ卒業していないので、具体的に思いつかないですが、まずはPTAをやりましょうかね。
今までは何か理由を付けて逃げてきていたので(笑)その後はまたゆっくり考えます。

JCI小千谷に興味がある方へメッセージなどあればお願いします。

この記事を読んで「こんな人がいたんだな」って知ってもらえたら幸いです。JCI小千谷に入る自信がなく、なかなか入会しなくても、その人は特別委員長を務め、そして卒業間近の景色を見て、もう1年早く入会すれば良かったと思った人がいたんです。その人は嫁さんと可愛い子どもが3人いて、仕事もメチャメチャ出来る人なんですけど、もっと早くJCI小千谷に入っておけば良かった後悔しているそうです(笑)

本田さんは今年で卒業ですが、残されたメンバーに伝えたいことなどありますか?

青年会議所の3箇条に『修練・奉仕・友情』というものがあります。これは卒業例会のスピーチでメンバーに伝え忘れたことなんですが、自分で苦しい思いをして『修練』をした結果、成長する。だから成長することによって地域に奉仕できるようになり、その活動を通してメンバーとの友情が生まれていくんだと思います。

これは残ったメンバーの皆さんには、ぜひ心のどこかに留めてもらって、実施していただきたいです。地域に奉仕。仲間に奉仕。どんどん自身の経験を分け与えていってほしいです。

良い循環が生まれますね。

また、ぜひ新しいことにも挑戦していただきたいです。JCI小千谷の事業は子ども向けのものが多い印象なので、もっと幅広い世代を対象にした事業を見てみたいですね。決して子ども向けの事業が悪いと言っているわけではありません。事業の対象が子どもなのであれば、もっと事前に子ども達から、どんなことを求めているのかを聞いてみると、これまでよりも良い事業が出来るんじゃないかって思うので頑張ってください。応援しています。

短い期間でしたがJCI小千谷で濃厚で苦しくも充実した活動ができました。楽しい思いだけを共有した人は、その場限りで終わるけれど、苦しい想いを共有した人とは、その後もずっと続いていきます。JCI小千谷で一緒に苦楽を共にしたメンバーの皆さんは一生モノの仲間です。苦しさ無くして、仲間無し。本当にありがとうございました!

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