谷内の小池さんの家は庄屋でした。何代か前のおばあさんは毎日朝晩お地蔵さまをお参りして、その信心のあつさは近在にしらぬものはありませんでした。この地蔵さまのある所は子供たちのよい遊び場でした。ある時、子供たちがいつものように遊んでいる拍子に、地蔵さまがころんでしまいました。すると地蔵さまの顔がコロリとかけてしまいました。子供たちのことですから誰がやったでもなく、その場はサァーッと、くもの子を散らすように逃げ帰ってしまいました。
おばあさんは翌日のお参りで、このかけた地蔵さまを見つけ、ビックリしましたが、
「これを私の信心の一念でくっつけてみせましょう。」
と、お参りのたびにのせては参り、のせては参りしていました。中にはそれを見て、
「くっつくはずがあるものか。あれは年寄りの気休めだ。」
と、あざ笑う者もありました。
しかし、執念とはこわいものです。毎日毎日のせてはお参りして、何日かが過ぎますと、この顔が不思議なことにくっついてしまいました。おばあさんの喜びようは大変です。また村人たちの驚きようも大変でした。ただ残念なことにそのくっついた顔には傷が残ってしまいました。
それ以来、村人たちはこの地蔵を「かけ地蔵」と呼んであがめていましたが、いつのまにか「かっけ地蔵」となまって呼ばれるようになりました。そしてそのかっけが、足の病気のかっけにひっかけられて、その病気が治るようにお参りされるようになったのです。
今でも遠くから、かっけや、かぜを治そうとお参りに来る人があり、病気が治るということです。