むかしのお話しです。
蓮華谷(今の川岸町付近)に滝沢弥右ェ門という豪族がおりました。弥右ェ門には妙という娘がおりましたが、付近に人から「蓮華娘」とうわさするほど美人に成長しました。早くから母を失ったので、弥右ェ門のかわいがり方も、人一倍でありました。弥右ェ門の勢力は相当なものでしたが、彼は力まかせに豪族ぶりを発揮するような男ではなく、日蓮宗に深く帰依して、広田村の妙広寺の檀家として、質素な生活をしていました。妙広寺の和尚も小千谷の滝沢家に来るのを楽しみにしていました。また母親のいない娘の妙も和尚が音丸と面白い話が聞けるので楽しみだったのです。ある時、
「弥右ェ門殿、どうも妙殿の身の上に何かが起こるのではないかという予感がするのじゃが。」
「和尚さん、それは悪いことで?」
「そうじゃ、何だか判らなんがのう。」
この不吉な予感はあたりました。一人娘の妙はそれから間もなく不思議な病気にかかり、日ごとにやせていくばかりでした。心配した弥右ェ門は有名な医者にも診せましたし、ありがたい祈祷もあげてはみましたが、なんのききめもありませんでした。そこで弥右ェ門は「これ以上は神仏にすがるほかはない」と考えて、当時の蓮華谷の上にあった「日光様」と呼ばれる小さな祠に願をかけ、雨の日も雪の日も欠かさずに毎日毎日お参りをしました。しかし満願の日になっても娘の病気は依然として変化はありません。弥右ェ門はお参りを終えて力なくトボトボと崖の小路を下ってきたとたん、すべって足をふみはずし、崖下に墜落して気を失ってしまいました。その時です。
「弥右ェ門よ、漁に出よ。そこには必ず神が待っている。」
ようやく我にかえった弥右ェ門は痛い足を引きずりながら、信濃川に漁に出ましたが、魚は一匹もとれません。シオシオと引き上げの支度をして、最後の網を投げたら、網の底に何か光るものがありました。驚いてあげてみましたら、何と小さな神像がかかっていたのでした。
弥右ェ門は早速家に持ち帰り、祭壇をつくって、心から娘の病気が治るように祈ったところ、その日からあれほど難病とされていた病気が、メキメキと快方に向かい、ついに全快しました。妙はまたもとの蓮華娘にもどり、付近の人々は弥右ェ門の明るい顔を見てホッとしました。
その後、弥右ェ門はそれまで藪に中にあった祠の日光様を修理して立派なお宮つくり「二荒神社」として、今までの御神体の他に、川から拾い上げた神像をまつり、盛大なお祭りが催されるようになりました。