むかしのお話です。
吉谷の山奥に竜神がすむという古沼がありました。村人は竜神のたたりを恐れて、誰一人として近寄るものはありませんでした。そして、竜神様を部落部落でまつって、春夏のお祭りを欠かしませんでした。そのためか、この村は毎年豊作が続き、人々は富み、平和な日々が続いていました。
その頃、この魚沼郡一帯を支配する郡司がいました。人々は郡殿と呼び、屋敷は現在の土川町関山にあり、たいそうな勢力をふるっていました。郡司の役目は、今の市役所と裁判所と税務署と教育委員会を合併したようなところで、ワンマン独裁という立場でありましたから、村人に対しては横暴でした。こんな盆唄が残っています。
おいらの村中に 勝てないモンは 竜神様に郡殿
郡ドンの殿様に 上納あげりゃ 上納も取るしゼニも取る
この郡殿に美しい奥方がおり、近郊でも評判でした。その奥方が最近原因もないのに、だんだん元気がなくなってきて、時々わけのわからないことを叫ぶのでした。村の人々は、
「郡殿の奥方は、大沼の竜神様にみこまれたんだ。」
といいました。
夫の郡殿も次第にやつれてくる妻の姿を見て、どうすることもできませんでしたが、ある夜竜神が彼の枕元に立ちました。
「妻を捧げよ。しからばお前の罪は消える。」
郡殿はついに奥方を竜神に捧げることにしました。駕篭に乗せて沼に向かわせました。奥方がその途中で小用を足したところがバリ池、化粧を直したところがオハグロ池と言われています。そして奥方は沼に入り、二度と帰りませんでした。
郡殿はその後、生まれ変わったように善政をしましたので、吉谷郷一帯は大変栄えました。郡殿は職を退き農家になり、滝沢という姓を名乗ったということです。
それ以来、この池を郡殿の池と呼ぶようになりました。